【ネタバレ含】バイオハザード8で感情が限界になった話

年を経るごとに所謂「泣ける展開」への耐性が下がっている今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

どうも皆様ごきげんよう、涙腺の耐久値が10代の半分あるか怪しい石臼です。

 

私は最近バイオハザードVILLAGE(以下バイオハザード8)で感情が限界になりました。どのくらい限界かというと、限界になりすぎてわざわざブログを開設するくらいには限界になりました。

今回はバイオハザード8の主人公、イーサン・ウィンターズが辿った軌跡と、その描写についてクソデカ感情のままにネタバレ全開で書いていきたいと思います。

ネタバレを避けたい人は閲覧をお止めください。

 

バイオハザード8を一言で説明するなら、「主人公が生後半年にも満たない娘を誘拐されたから、怪しい村に奪い返しにいく話」です。

ホラーゲームにおいて自ら怪しいスポットに突っ込んでいくのは、最愛の人に会いたい者か、もしくは危機感のない観光気分のアホと相場は決まっているので、ここもある種お約束の展開ですね。

余談ですが、後者のタイプはたいていエンディングで死ぬ印象です。

 

さて、それでは何故このオタクが鼻息を荒くしてバイオハザード8を褒めたたえているのかですが、端的に言うと「クライマックスがオタクの好きな展開のハンバーグランチだったから」です。

 

ここでいうオタクの好きな展開とは何ぞや、という問いに例を挙げるなら、

・主人公が冒険の途中で相棒を喪うものの、相棒から受け継いだものがラスボス撃破のカギになる

・お互いを意識し普段は険悪な関係のライバル同士が、共通の敵と戦うために手を組んだら互いを熟知しているがゆえに息ぴったりだった

のような、展開としては「どっかで見た」となるものの、適切かつ丁寧に描写・演出をしていれば絶対面白くなるお約束のメニューを指します。

孤独のグルメ井之頭五郎がハンバーグランチを見て「こういうのでいいんだよこういうので」と発言したように、然るべき手順で作られた定番メニューというのは必然的に美味く、作品で言うなれば面白くなるわけですね。

 

主人公のイーサン、そしてプレイヤーはゲームの最中娘を取り返すべくがむしゃらに突き進みますが、エンディングを迎えてそれまでの旅路を振り返ると、それは見事にオタクの好きな展開を構築する要素が散りばめられていた……という感覚があまりに刺さったために、今回ブログを開設したに至ります。

それでは、バイオハザード8がお出ししてきやがったハンバーグランチの中身について、順を追って説明していきましょう。

 

さて、バイオハザード7、そして今作バイオハザード8を語るために、まずは2作品の主人公イーサン・ウィンターズという人物について見ていきましょう。

主人公のイーサンを語るには、バイオハザードというシリーズ作品が辿ってきた歴史と、そこから生じた「メタい事情・大人の都合」について説明する必要があります。

 

あくまで私の主観ですが、バイオハザード作品は毛色によって「カメラ視点」と「ゲーム性」を観点に3つの世代に分けることができます。※もちろん長いシリーズですので例外は多いですが、今回は解説を割愛します。『それは違うぞタコ助野郎』というシリーズファンの方はお許しください。

 

 

  1. 第一世代:バイオハザード1~バイオハザード3
  2. 第二世代:バイオハザード4バイオハザード6
  3. 第三世代:バイオハザード7~バイオハザード8

 

まず第一世代ですが、これらの特徴は「3人称視点の固定カメラ」と「ゾンビまみれの環境からの脱出を図るホラー展開」です。わけもわからないまま極限環境に放り込まれた、あるいは巻き込まれた主人公たちは、脱出の糸口を求め手探りで探索を進めながら、事態の解決に挑みます。

 

次にマンネリ打破のために作られた第二世代ですが、これらの特徴は「TPSに似たビハインドカメラ視点」と「アクション性に重きを置いたゲーム性」です。4~6の主要キャラクターは3までにゾンビに襲われる惨劇を体験した者がほとんどで、設定的にもバイオテロ対策組織に属するなどしています。そのためゾンビを狩る側になっている場面も多く、「アクションゲームとしては面白いがホラーゲームとして見ると怖くない」という声も少なくなかったそうです。

 

上記を踏まえて恐怖演出に立ち返るべく作成されたのが、第三世代です。このとき制作されたバイオハザード7は、「没入感を与えるための1人称視点」と「サバイバル性を出すべくアクション要素を薄くした」ことが特徴となります。

ここで生を受けたのが、かのイーサン・ウィンターズというキャラクターです。彼は恐怖演出のために、①戦闘のプロではない一般人であること、②恐怖体験の軸をプレイヤーにゆだねるべく感情表現の少ない無個性な人間であること。この2点が性質として組み込まれた、いわば怖がらせるために意図的に薄く設計されたキャラクターだったのです。7の物語は「失踪した妻を助ける物語」なのですが、そうした愛妻家等々の情報は、ゲーム開始時には正直あってないようなものでした。

 

ところが、ここで恐らく開発の意図せぬことが起こります。イーサンのキャラクターがおかしな方向に認知され始めたのです。先ほどイーサンはあまりリアクションしない人物と語りました。怖い状況で情けなく悲鳴をあげる主人公や、雄叫びをあげて化物を撃退する主人公ではホラーゲームの主人公として不適切だからです。

しかし問題なのは、全く発言しないほど無機質でもなかったこと。具体的には何らかの事態が発生するとイーサンはたいてい「マジかよ」とこぼします。

この「マジかよ」というのが実に淡白でした。それはもう何事にも動じない。暴走した妻にチェーンソーで左手を切り落とされようが、不死身の大男が執拗に追いかけてこようが、彼にとっては「マジかよ」で済ます範疇です。

このあまりの軽さがプレイヤーにはある種奇妙に映り、「メンタルだけなら歴代最強の主人公」だの「目の前で人間がグロい肉塊になってもビビらないのに虫は嫌な男」だの、恐らく当初は想定していなかった方向にキャラが固まっていきます。

「大人の都合で設定された淡白な無機質さ」が、「何事にも動じない超人一般人」という強烈な個性として書き換えられた展開でした。

 

そんなイーサンの活躍をバイオ7で体験していた者にとって、バイオハザード8でイーサン続投を知った人は考えたことでしょう。

「まぁイーサンなら今回も淡々と敵を殲滅してくれるだろう」

そうした謎の信頼感が既にイーサンというキャラクターには浸透していたのです。

 

さて、満を持してバイオハザード8が発売され、少しプレイした7経験者は違和感を覚えます。

「なんかイーサンよく喋るな?」

そうです。7のときは無個性な一般人であることが強いられたイーサンですが、7での恐怖体験を乗り越えたイーサンは、「妻のためなら死地にも平気で挑む勇敢な夫」という新たな個性が付与されていました。

イーサンの設定の差異は単なる認知の問題にとどまらず、「7で生物兵器に巻き込まれた経験から戦闘訓練までさせられた」という設定も追加されています。バイオハザード8で物語を進めさまざまな障害を乗り越えたプレイヤーは、イーサンを頼れる夫・良き父・強き男として7のときよりも更に好感触を抱くことでしょう。

ある種予想外のスタートを切ったイーサン・ウィンターズというキャラクターですが、少なくともバイオハザード8の序盤~中盤までには、まっとうに愛される主人公になっていると考えられます。

 

それではある種冗長すぎるイーサン語りも程々に、バイオハザード8の終盤の展開について触れていきます。頼れるナイスガイことイーサンと冒険を進め、数多のボスを撃破したプレイヤー、彼らはそろそろラスボス戦かななどと考えていると、唐突にショッキングな展開が訪れます。

 

イーサンが死にます。

 

いや、正確にはイーサンが3年前、ゲーム内ではバイオハザード7の物語の段階でとっくに死んでいたことが明かされます。

 

作中のイーサン、そして操作するプレイヤーも理解が追い付けないままに、容赦なく叩きつけられる数多の情報。イーサンは7の段階で死んでいたこと。今生きているのはバイオハザード7・8の元凶である特殊な真菌(カビ)で疑似蘇生させられたからであり、イーサンは既に全身をカビに置換された人ならぬ状態であること。さらにそれまでの戦闘で全身カビの体は活動限界を迎えており、崩壊が間近であること。

 

唐突に突き付けられた自らの現状に茫然とし、一度は立ちすくむイーサン。しかし、とあるキャラクターの「お前はもう家族に会えないんだ」の一言を契機に、「自分には家族がいる」「自分には助けねばならない娘がいる」と自身の凄惨な現状を気にもとめず立ち上がります。自身がどうなろうと、なによりも娘の命を優先しなくてはならない。今は娘を助けることこそが全て。

そうしてイーサンはラスボス戦に向けて歩んでいく……というのがバイオハザード8最終盤のクライマックスの展開となります。

 

以上を踏まえ、バイオハザード8におけるイーサンの状況を箇条書きすると、

・意図せず人ならぬ存在になってしまった者が

・知性が低下することも残虐になることもなくひとえに妻と娘への愛ゆえに良き夫、良き父であり続け

・最期は自身の崩壊も気にせず最愛の人を守るために戦う

という、「人外×人間のカップリングの一番おいしい最期を抽出しました」といえる要素が揃っているのです。イーサンの体は全身が真菌の菌糸の集合体といえる状態であり、組成としてみれば完全に化物、人とはかけ離れた存在です。しかし前述の通りその精神はまさしく理想的な親のそれでした。

 

ゲームの物語を通しイーサンが娘のためならどんな困難にも挑む素晴らしき父親であるとプレイヤーに根付かせたうえで、彼がもうどうしようもなく手遅れなことを遅すぎるタイミングで伝えてくる。冒頭になぞらえ演出を料理に例えるなら、バイオハザード8はイーサンという父親をめぐる悲劇的な結末、そしてそれに臆さず娘のために歩み続ける深い愛情を、それはもう丹念な仕込み・調理をして描写してきたわけです。

 

そして最後の最後、自身の死期を悟ったイーサンは娘と妻だけを逃がし自身は真菌の菌根(核)と共に自爆し、それまでの真菌がもたらした惨劇から家族を解放します。

父親としてのイーサンを見続けてきたプレイヤーにとって、その選択はとても納得がいく重みを伴うものであり、そして同時にあまりにも哀しい選択でもあったことでしょう。この父親ならこうするよな……というそれまでの描写がもたらす説得力が、この展開を避けられないものにしていると悟らせてきます。

 

適切な調理をされたハンバーグランチが美味くて然るべきなように、適切な描写の説得力をもった王道展開というのは感情に響いて然るべきだと実感させられたここ数日でした。

正直バイオハザードでこんなにもクソデカ感情になるとは思わなかった……。未だにイーサンが死んだショックが抜けきれない今日この頃。5年後とかに泣けるシナリオ系のゲームやったら、おっさんが滝のように涙流してる絵面ができあがりそうである意味ホラーですね。